タイタニック号に搭乗していた8人の物語

タイタニック号は、出航からわずか4日後の1912414日午後1140分に氷山に衝突し

その数時間後には船体が真っ二つに割れて沈没してしまいました。

助かったのは約710名、乗員乗客合わせて約1500人が犠牲になるという、最大の海難事故となりました。

今回は、そんなタイタニック号に搭乗していた6人のエピソードを見ていきましょう!



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8.出航直前にキャンセルした青年

 

当時24歳だったアレックス・マッケンジーは、両親に貰ったチケットを持って乗船する列に並んでいた時に、どこからか”乗ったら死ぬぞ”という声が聞こえてくるのに気付きました。

あたりを見回しても誰もいないので気にせず搭乗しようとした時、再び同じ声が聞こえ、無視しようとすると、同じ声がさっきよりも強く聞こえてきたのだといいます。

結局彼はその声に従い、タイタニック号には乗らずに両親の待つ家へ戻り、命拾いしました。

守護霊か何かだったのでしょうか、とても興味深いですね。

7.新婚旅行中だった夫婦

(image..encyclopedia-titanica.org)

二等客室の乗客だったエドワード・ビーンと妻のエーテルは、新婚旅行で、タイタニック号の船旅を満喫していました。

船が氷山にぶつかった時も、他の多くの乗客と同様に、この船は「絶対に沈まない」と信じていたため、部屋でくつろいでいました。

しばらくして事態の深刻さに気付いた2人がデッキへ上がると、既に、船上は人で溢れかえっており、救命ボートには、妻のエーテルしか乗せることができませんでした。

残されたエドワードは、沈没する寸前に、極寒の海へ飛び込み、自力で泳いで助けを求めました。

幸いにもその後、救命ボートに引き上げられ、救助船でエーテルと再会することができました。

多くの人が心臓麻痺や低体温症で亡くなるほどの冷たい海を、生き延びられたのは、奇跡といってもいいかもしれません。

6.子どもを残して乗船した男性

(image..rmstitanichotel.co.uk)

3ヶ月前に妻を亡くしたトーマス・ミラーは、二人の息子を養うためにタイタニック号にエンジニアとして乗船しました。

息子たちは一旦妹の家に預け、アメリカで生活の目途をたててから呼び寄せようと考えていたようです。

出発前、彼は息子たちに1枚ずつペニー硬貨を託し、「次パパに会えるまで大切にとっておきなさい」と伝えます。

しかし悲しいことに、彼は二度と息子に会えることはありませんでした。

お兄ちゃんのペニー硬貨はなくなってしまったものの、弟が貰ったペニー硬貨は、”父親からの愛の証”として、今もまだ大切に保管されているそうです。



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5.タイタニック号最後の寄港地で下船した男性

(image..time.com)

イエズス会の牧師だったフランシス・ブラウンは、叔父にもらったチケットでタイタニック号に乗船しました。

乗船した人のほとんどがニューヨークまでの航海チケットでしたが、彼が持っていたのは、その一つ手前のクイーンズタウンまでのチケットでした。

そのため事故の直前に船を降りた、8人のうちの1人になりました。

後に、彼が乗船中に撮ったたくさんの写真は、タイタニック号の最後の瞬間をとらえたとても貴重なものとなり、世界中のメディアで彼の写真が使われることになりました。

4.勇敢に人々に尽くした伯爵夫人

(image..wikimedia.org)

映画にも登場したロテス伯爵夫人は、実在する人物がモデルになっています。

従姉妹と侍女の3人で乗船していた彼女は、衝突の後乗せられた救命ボートで男性よりも勇敢にハキハキ指揮をとったり、同乗者一人一人を励ましたりと、一晩中精力的に動き続けました。

それだけでなく、無事救助船がニューヨークに到着してからも船に残り、他の人々の手当などに尽力したのです。

後に、彼女が乗った救命ボートの乗組員だったトム・ジョーンズから救命ボートについていた真鍮プレートを進呈され、二人の交流は彼女が亡くなる1956年まで続いたそうです。

3.救命に尽力した六等航海士

(image..titanic-titanic.com)

当時24歳だったジェームズ・ムーディーは、六等航海士という決して高くはない等級の乗組員でしたが、その勇敢な行動から、有名になった人物です。

事故の直後、等級の低かった彼は、救命ボートで乗客と一緒に避難するように指示されましたが、勇敢にも辞退し、最後まで船に残って一人でも多くの乗客を避難させようとしていました。

彼の姿が最後に目撃されたのは、沈没の2分前で、まだ残りの救命ボートを、海に浮かべようと奮闘していたそうです。

彼の故郷の教会には、彼の勇敢な行動と栄誉を称えた銘版(めいはん)が残されています。



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2.SOSを送り続けた通信士

(image..rmstitanichotel.co.uk)

ジャック・フィリップスはタイタニック号の通信士で、もう一人の通信士「ハロルド」と二人体制で、乗客の電信や船長への気象情報伝達にあたっていました。

事故の前には、他の船から多くの氷山警告信号を受け取っていましたが、ジャックは、乗客との電信のやりとりが増えるに従って

いくつかの信号を無視してしまったのです。

そのため、この事故は、彼のせいだと批判する人もいます。

しかしながら氷山衝突後、彼は乗員乗客の命を救うため、真っ先に救助要請の信号を送りはじめました。

沈没が確定し、船長に逃げる様に指示されても、その場に留まり、沈没の3分前までSOSを送り続けたのです。

彼がいなければ、被害者は、もっと増えていたのかもしれません。

その後、間一髪、救命ボートに乗り込んだジャックでしたが、ボート上で凍死してしまいました。

1.最後の演奏

(image..wikipedia.org)

ウォレス・ハートリーは、タイタニックが沈没した際に、演奏していた8人組バンドのリーダーを務めていました。

氷河へ衝突してから沈むまでの間、彼らの演奏によって多くの人が、パニックにならず落ち着いて救助活動に専念できたことを生存者たちが語っています。

事故から数週間後にウォレスは、バイオリンを革のケースに入れて、大切そうに体に結びつけた状態で、発見されました。

そのバイオリンは、2年前に婚約者のマリア・ロビンソンが贈ったもので、バイオリンには、「ウォレスへ、婚約を記念して マリアより」と刻まれた銀製の飾り板が付いていました。

via..listverse.com, Wikipedia

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